打掛の話
25歳の冬の話。
姉が結婚式を控えていて、その衣装を貸衣装屋に見に行った。
4階か5階建てのビルになっていて、まずドレスを見た。
1階にはカラードレスがごっそり置いてあって、2階には白のドレス。
色々試着するのを見て、「あっちの方がいい」「その色は似合わない」というのが自分の役目だった。
ドレスにあらかた目星をつけ、次は和装の花嫁衣裳を見ることになった。
狭いエレベーターに、姉と自分、そして衣装屋の従業員が乗り、4階に着いた。
まず、エレベーターから降りるのを身体が拒否した。
姉と従業員がさっさと降りてしまったが、足が凍りついたように動かない。
手を添えて無理やり前に出すと、さきほどまで暖房が効きすぎて暑いと思っていた筈なのに、脚もジーンズも冷え切っていた。
あからさまに、何かいる。
それも、とんでもなく性質の悪いものが。
自分の用事だったなら、何か理由を付けて逃げ出しただろう。
その手の感覚を持っている筈の姉が全く気付いていないのが、余計怖かった。
従業員が畳紙に包まれた着物を開いて行く。
背中に冷たい汗がわき、全身の肌がちりちりした。
姉と従業員から1メートルくらい離れたところに立ち、視線を巡らせる。
目を合わせるとヤバいのは重々承知していたが、無防備な姉を守らなくてはいけないと思っていた。
意を決して一歩前に進むと、それまで立っていた位置からは陰になって見えなかった、一枚の打掛が目にはいった。
紫っぽい地色に、花が散らしてある柄だったと思う。
それが衣文掛けにかかって、展示してあった。
髪の毛が逆立ったのではないか、というほど鳥肌が立った。
打掛の裾は綿入れのように少し膨らんでいて、その下からわっさりと髪の毛がはみ出ていた。
手入れしていない、ボサボサの黒髪。
目を逸らすことが出来ずに凝視していると、髪の毛から少し外側の、床と打掛の隙間から、指が出てきた。
茶色くしなびた指。変色し、黄ばんだ白色の爪。
もの凄い悪意を感じた。
その指がじわりじわりと伸びてきて、手の甲が見え始めたとき。姉の髪を欲しがってるのだと理解した。
当時姉は、白無垢を着る時のカツラを地毛で結えるのでは無いかというくらい、黒く長い髪をしていた。
(身長167cmで、腰から尻くらいまであった)
にゅう、と手が伸びて、姉の足元に来た。
触ろうとしている。引きちぎろうとしているのかも知れない。
堪りかねて、姉を呼んだ。
姉はこちらを見てキョトンとしたが、ぶんぶん首を振ると尋常でないことが起きていると気付いてくれたらしく「着物の事は母にも聞いてみようかと…」と、後日母を連れてくるので今日はもう帰りたいという旨を従業員に話し始めた。
一度は止まった手が、再び上がって来ようとしたので、姉の腕を掴んで引っ張った。
姉は一歩よろけるような形になり、従業員は少し不思議そうにこちらを見たが、愛想良く承諾した。
店を出て車に乗っても、まだ震えが止まらなかった。
うまく回らない口で姉に一部始終を話すと、私の様子を見て、急に気付いたとの事だった。
「何だか、話を聞くと"可哀相"という気持ちになった」
姉が言った。
その時自分は、「今見たモノが可哀相」ではなく、自分が悲しくて哀しくて堪らず、震えながら泣きそうになった。
姉を庇って、少し憑かれてしまったのかも知れない。
姉は衣装屋を変え、カツラの関係で髪を切り、結婚式は無事に終わった。
二度とあの衣装屋には近寄りたくない。
カテゴリ:心霊・妖怪
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