生き人形(1/4)
稲川淳二談「生き人形」

1997年TV放送より。

稲川さん曰く、
「この話しは私自身…怖いです。それに危ない。出来れば話したくはなかったんですがね…」

稲川さんがニッポン放送の、深夜のラジオ番組に出演していた頃の話しである。当時稲川さんと仲が良かった人で番組ディレクターの東さんという人がいた。
彼が稲川さんに

「淳二、一緒に帰らないか?」

と誘ってきたのだ。
というのも、稲川さんは当時国立に住んでおり東さんは小平の辺りに住んでいたので方角はほぼ同じだったのである。そして車は当時開通したばかりの中央高速道路に向かって走っていた。

高速道路に乗っても、深夜なので行き交う車はほとんどいない。道路灯も完備されていなくて辺りはほとんど真っ暗だった。稲川さん達の車の、前にも後ろにも車はいない。

二人は普段から気の合う友達ということもあり、雑談に花を咲かせていた。

「淳二、油揚げはな、こうやって食うとうまいんだぞ」
「やだな〜、東さんは。アハハ」

しばらく走っていた頃だ。三鷹を少し過ぎた辺りだろうか、道路脇の塀の上に道路標識らしい丸い物が立っていた。

(あれ?珍しいな…。)

その頃中央高速には標識はほとんど立てられていなかったのである。
しかし稲川さんは特に気にも止めず、標識は遥か後方へと過ぎて行った。東さんは相変わらず面白い話をして稲川さんを笑わせている。

しばらく走っていると、また同じような丸いものが見えてきた。再びその標識らしき物を通りすぎたのだが、人間というのは面白いもので、同じ出来事が複数回続くと
「またあるんじゃないか?」と思うものである。多くは偶然なのだが、稲川さんはさらに同じような物をはるか前方に発見した。しかし、形が先ほどまで見ていた物と違うのである。
距離はかなりあるはずなのだ。しかし稲川さんはそれが、
「人の形をした物」
だと、すぐに気づいたそうだ。

人間の目というのは曖昧なのか正確なのか、良くわからない点がいくつかある。信じられない程遠くにある「なにか見なれた物の形」、この場合は人の形なのだが、
「あっ、○○○だ」とすぐに認識できる場合がある。
例えば東京タワーのような高い建物の頂上に人が立っていれば、「人間が立っている!」と下から見上げる人達で大騒ぎになるであろう。

しかしその時は深夜、辺りは真っ暗である。なのに稲川さんは、その人間が「黒い着物を着た、黒髪の少女」だという事が分かったそうだ。
その少女が真夜中の高速道路の塀に立っているのだ。道路の方ではなく外の方を向いて腰を少しかがめながらである。

(うわっ、自殺だ…!)

とっさにそんな事を思ったそうだ。しかし、その少女の周辺には車やバイクを停めている様子は無い。

(どうやってここまで来たんだろう…?)

そう不思議に思ったが、車はだんだんとその少女が立っている辺りに向かって走り続けている。

ガーーーーーー!!!

稲川さんも東さんも冷房が苦手だということもあって、窓は全開にしてある。その為風の音や車の走行音でものすごくうるさい。まるで吸い込まれるかのようにその少女を見ていた稲川さんだったが、そのうちその少女の首から下が風景と溶け合うようにしてス〜ッと消えて行き首だけが残った。その首がカクッ、カクッ、とぎこちなく角度を変えて稲川さん達の方を向いてくるのだ。人間が首を横に回すときのように「スーッ」といった感じではなく、ぜんまい仕掛けで首を変に規則的に回す人形のような、そんな感じであったという。
そしてさらに近づいた頃だ。稲川さんはその「首」が、明らかに「半透明」である事に気づいた。透けて向こうの景色が見えるのである。
しかし顔は確かに存在している。
おかっぱ頭、目は切れ長で口も横に長くて、気味が悪いほど肌は真っ白。それでいて無表情。
その「首」が、気がつくと稲川さん達の車のすぐ前方に浮かんでいたのだ。
そうかと思うと首はフロントガラスをすり抜けて車内に入ってきた。そしてスポーン!と後ろに抜けて行ったのである。

(うわーっ!な、何だ!?今の…。)

しかし稲川さんは東さんにはその事は言わなかった。不思議な事だが気づいていない様子だったし、稲川さんを降ろした後は東さん一人で自宅に帰らなくてはならない為、変に怖がらせては申し訳無い、と思ったからだそうだ。

(疲れてるのかもしれない…。)

そう思って着を落ち着かせようと努めた。やがて車は稲川さんの家に到着した。

「どうもありがとうね、おやすみー。御疲れさ〜ん」

わざと明るく挨拶をして稲川さんは東さんと別れた。しかし、何となく肩が重いのである。

(あぁ…疲れた。)

2階に上がってみると奥さんが寝ていた。疲れているはずなのに眠たくは無い。稲川さんは下の部屋のソファーの上で横になっていた。

しばらくすると稲川さんの耳にミシッ…ミシッ…という階段を降りる音が聞こえてきた。見てみると奥さんが下に降りてきたのだが、稲川さんの顔を見るなりこんな事を口にした。

「お帰り…。お友達は…?」
「友達?そんなのいないよ」
「もう帰ったの?さっきあたしが寝てるときにあんたと一緒に入ってきた人だよ」
「いや、この家に入ってきたのは俺一人だけだよ?」
「ウソ。さっきあんたの後から部屋に入ってきて、あんたが出て行ったあとも部屋の中でグルグル歩き回ってたの、誰よ?」
「…何だそれ?気味が悪い事言うなよ…」
寒気を覚えながらも、やがて夜が明けた。

すると稲川さんの元にTV局から一本の電話が入った。東さんである。

「おぉ、昨日はどうもね!」
「…淳二さぁ、昨日は悪いと思って言わなかったんだけど…」
「何の事?」
「昨日…誰かと一緒に車を降りたよな?」
「…何それ?」
「いや、隠さなくてもいいよ。分かってるから」
「…ちょっと待ってくれ、隠してるわけじゃないよ。…今から局に行くからそこで話すよ」

局に着いた稲川さんは、さっそく東さんに事情を聞いてみた。

「…俺は実際に何か見えたわけじゃないんだけど、気配で感じてたんだよ。俺と淳二の他に、車の中に誰かが居たんだ。そいつが、淳二が車を降りたら一緒に降りたんだよ」
「…実はさ…。俺も昨日こういう事があって…」
稲川さんは昨夜目撃した少女の事について詳しく東さんに話した。

東さんとの話も終わり、仕事も終えて帰宅すると稲川さんに電話がかかってきた。人形使いの前野さんという人物からであった。

「うわ〜、久しぶりだね〜!元気?」

二人は懐かしい話しで盛り上がったのだが、前野さんが稲川さんにこんな事を言ってきた。

「稲川ちゃん、また今度舞台やるんだけど、そこに座長として出てくれないかな?」

聞けば、新しく手に入れる人形と一緒にお芝居をやるという企画の事だった。前野さんという人はこの道ではかなり著名な職人で、評判の良い人形師の人だった。今回のそのお芝居も大勢の有能なスタッフ、魅力的な俳優や女優、声優を用意した大掛かりな物になるとの事。以前から演劇や戯曲等に興味があった稲川さんは、親しい前野さんからの頼み事ということもあって快く承諾した。

「いいねぇ、やろうよ」

やがて段取りも順調に進み、出演者やスタッフ一同で顔合わせがあった。

「どうもはじめまして」
「よろしくお願い致します」

自己紹介で一人一人が挨拶をして行く。一通り済んだ頃、前野さんが今回使用する人形についての説明を始めた。話しによるとその少女人形は、身長が125cm、かなり大きい。普通の子供とさほど変わらない大きさで重量もある。よって操作は黒子さんに扮する男性が3人がかりで動かすのだ。黒子Aは頭と両腕、Bは胴体、Cは両足。といった具合の役割である。すると前野さんが、申し訳無さそうに室内の関係者に向かって口を開いた。

「え〜、皆さん。大変申し訳無いんですが、肝心の人形はまだ出来ていないのです。ですが、今日皆さんにご説明するという事で、絵図面ですが持ってまいりました」

稲川さんも含めた関係者達の視線が前野さんに集まる。

「こちらです」

ピラッと図面を関係者達に見せるように両手で広げる。それを見て稲川さんは驚いた。以前稲川さんが中央高速道路で見た少女とまったく同じ顔形なのである。
ふいに、イヤな感じがした稲川さんだったが、余計な事は言うまい…と思い黙っていたそうだ。

それからしばらくして、人形が出来あがってきた。

「へ〜、良く出来てるじゃない?」

稲川さんも変な事は考えないようにと思い、その人形について前野さんと色々な話をしていた。すると前野さんが、思い出したように不思議な顔をして稲川さんにこんな事を言って来たのだ。

「でもね〜、稲川ちゃん。この人形ちょっとおかしいんだよ。見てみな、ほら、右手と右足がねじれちゃうんだよ」

人形であるから操作しやすいように、関節の部分は丈夫な糸で連結してはいるが隙間は十分に空けてあるはずなのに、である。しかも放っておけばダラ〜ン、となって自然にまっすぐになるはずなのだが右手と右足だけがまったくいう事をきかないのだ。

「前野さん、俺が直してあげようか?そういうの出来るからさ」
「う〜ん…。いや、やっぱり作った人がいいから、先生のところに持っていくよ。悪いからさ」
「それもそうだね」

こうして初稽古の日は終わった。

自宅に帰った稲川さんは、人形の事を聞いてみようと思い前野さんに電話をかけた。すると前野さんも丁度良かった、といった口ぶりで稲川さんに話してきた。

「おかしいんだよ、稲川ちゃん。人形を作ってくれた先生なんだけどさ」
「うん、どうしたの?」
「行方不明なんだって」
「え?何それ?」
「うん、こっちから先生のところにはどうしても連絡がつかないから、色々な人に聞いてみたんだよね。そしたら’あの人今は行方不明なんだって’って言うんだよ」
「なんだ…しょうがないね…」

人形の修理は出来なかったが、そうこうしているうちに今度は台本が出来てきた。
文学座関係の作家で、純文学家の斉秀一さんという人物である。さっそく稲川さんや演出家の人達と共に原宿で打ち合わせが行なわれた。

「先生、ここどうしましょうか?」
「あぁ、ここは稲川ちゃんがアドリブでやってよ。その方が面白いからさ」
「アハハ。はい、分かりました」

打ち合わせは順調に進み、その場はお開きとなった。

「僕は今日これから、帰ったら台本仕上げちゃうよ」
「あ、どうもすいません。よろしくお願い致します」

その日の夜。稲川さんの元に前野さんから電話があった。

「やあ、前野さん。どうしたの?」

受話器の向こうで表情は分からなかったが、前野さんの様子は只事ではなかった。

「稲川ちゃん大変だよ…!」
「…どうしたの?」
「先生の家、火事で全焼しちゃったんだよ…」
「えぇっ!?」
「さっき僕が電話したときは燃えてる途中だったみたいなんだけど、今さっき連絡が取れたんだよ。…全焼なんだって」
「原因は何なの!?」
「分からない…でも先生が書いてた台本の原稿、書斎から出火したもんだから全部燃えちゃったって…」

しかし舞台の稽古は続けなくてはならない。仕方が無いので台本無しという緊急事態のまま稽古は本格的に始まった。

稽古が行なわれていたある日の事。突然前野さんが稲川さんに

「稲川ちゃん、ちょっとごめん。電話してきていい?」

と尋ねてきた。稽古熱心で途中で席を外したりする事が普段はほとんど無いという前野さんだった為に稲川さんは不思議に思ったが、

「あぁ、いいよ?行って来なよ?」
「うん、ごめんね」

そして階段脇の公衆電話に向かった前野さん。しばらくすると、通路の方から

タッタッタッタッタ!

と、駆け足の音が聞こえてきた。前野さんだった。大柄な人のため足音も大きいのだ。

「ごめん、稲川ちゃん。帰らなくちゃ…」
「どうしたの、前野さん。何があったの?」

当時前野さんは家庭的にもめてる事があった。兄弟同士でみにくい争いがあったのだが、前野さんは普段そういった事には無関心な純粋な人であった。前野さんを含む兄弟には中野に住む年老いたお父さんが居た。しかし親をそんな争い事に巻き込んでは可愛そうだという事で、稲毛にある自分の家に引き取り、当時45歳になる従兄弟の男の人に面倒を見てもらっていたのである。この時前野さんは自分の家に電話をかけたのだが、出たのは警察の人だったという。前野さんのお父さんの面倒を見てくれていた45歳の従兄弟の人。この人が急死したのである。原因は警察が調べているところなのだが不明らしい。とにかく帰ってきてくれ、と警察に言われたのである。

「イヤな事が続くねぇ…」

稲川さんは思わずつぶやいた。
そして、色々とゴタゴタが続いたが舞台はいよいよ公演の日を迎える事が出来た。
評判は上々で、稲川さんや他の出演者達がTVに出演する事もあった。

そんなある日の公演。朝、稲川さんが現場に出向くとその場所にいる人達の様子がおかしい。気が付くと、美術さん、照明さん…ありとあらゆるスタッフや出演者達が怪我をしているのだ。包帯を巻いたり湿布を貼ったり…。
「ガラスで切った」
「包丁をすべらせて刺してしまった」
理由は人によって色々あるのだが、怪我の場所は全員が同じ「右手と右足」。

そして、その日の公演「昼の部」直前の事である。稲川さん以外の出演者が全員倒れてしまったのである。熱を出したり下痢を起こしたり…。とにかくお昼の公演は無理である。お客さんには事情を説明して、お昼の部のチケットでも、その日最後の「夜の部」を見られるように、見ない人にはチケットを買い戻すという措置が取られた。

そして稲川さんの発案で、大変ご利益があるというお寺に行って関係者一同御払いをしてもらう事にした。
夜になる頃には具合の悪かった出演者達もいくらか回復し、夜の公演が無事に行なわれる事となった。お昼の部のチケットを持っている人は、ほとんどが帰らずに夜の公演を見ることにしたらしく、会場は立ち見客を含めて満員だった。そろそろ暖かくなってくる時期だしそれほどまでに人が大勢集まっているにもかかわらず、客たちは声を揃えた。

「この会場寒いよね…」

稲川さんは舞台の袖で待機していた。そこへ、稲川さんの家に居候していた人がやって来た。何とも奇妙な顔をしている。

「稲川、おかしいよ…」
「何が?」
「黒子さんの衣装を着た出演者は何人居る?」
「えーと、そうだなあ。少女人形3人、少年人形3人、それと舞台監督さんだから全部で7人だろ?」

「…8人居るんだ」
「…ウソつけ!」

舞台の背面にある壁には、ホリゾントという幕が天井から舞台の床まで垂れ下がっている。その幕に色々な光を当てたり影を投影させたり、特殊効果を与えて演出して行くのだが、そのホリゾントと壁の間のわずかな隙間に人が立っているというのだ。

「…お前それ誰かに言ったか?」
「いや、言ってないよ」
「言うんじゃないよ?…皆気にするからさ」

とは言ったものの稲川さん自身も気になって当たり前である。目は自然とその「誰かが立っている辺り」を見てしまう。すると、小さな明かりが2つ見えた。

(あぁ、なんだ。舞台監督さんか。メガネに光が反射してるんだな?)
と思って少し安心した。しかし、しばらく見ているとその小さな光2つが、ゆっくりと稲川さんの方を見るように角度を変えてきたのだ。

(そんなはずって…ないんだよね…。)

この時の様子を、稲川さんは思い出すとゾッとするという。それもそうである。もしメガネに光が反射しているのであれば、角度を変えた瞬間光を反射させている「光源」からメガネまで光が届かなくなり、消えるはずだからだ。しかしこの時点では稲川さんは気が付かなかった。舞台監督さんの声が聞こえて来たからだ。
「稲川さん、こちらです。稲川さんこちらです」
小さな声で誘導してくれる。
舞台が暗転、つまり真っ暗闇のうちに稲川さんは舞台に上がり、所定の場所まで歩いていく。だが暗くて足元が見えないために舞台監督さんが誘導してくれるのだ。舞台の真中辺りに稲川さんが差し掛かった時である。稲川さんはハッ!とした。少年人形、少女人形の黒子さん6人は自分のすぐ間近に居る。舞台監督さんはホリゾントの後ろ、つまり小さな光が2つある場所とはまったく違う、舞台の反対側の袖に居るのだ。
居候の彼が言っていた事は証明されてしまったのである。

やがて稲川さんがスタート位置に付き、ホワイトスポットが稲川さんに当たり舞台が始まった。
その瞬間。

パーン!

という乾いた音と共に少女人形の右手が割れたのである。中からは骨組みが見えていた。舞台も佳境に入り、ある役者さんがその少女人形を棺桶に入れて引っ張るというシーンでの事である。
棺桶は丈夫な木で作られた物で重さが8kgもある。しかし大の大人が二人掛りでも持ち上がらないというほどの重さでもない。しかし、持ちあがらない。まったくビクともしないのだ。
やがて棺桶からはフワ〜ッとドライアイスを入れたように霧が立ち込めてきた。
「わ〜…。すご〜い」
お客さん達は上手な演出だと思いこみ、拍手をしながら見つめている。仕方が無いので棺桶はその場に置いておくこととなった。
やがて棺桶を引っ張る役の役者さんが戻ってきて舞台監督さんに尋ねた。

「…ドライアイスなんていつ入れたの?」
「…いや…入れてない」

そして舞台は最後の場面を迎えた。声優の杉山和子さんという女性が、後ろを向いたかと思うと老婆の格好から綺麗な女性に一瞬にして早変わりする、というとても美しいラストシーンでの事である。なにしろ外国の取材人が見て絶賛したほどの、最後の見せ場であった。
杉山さんが後ろを向いた瞬間の事だ。
なんと杉山さんがかぶっている頭のかつらに火が付いたのだ。
確かに演出で火は付く事になっていた。しかしそれは本当の火ではなく、例えばボール紙を切りぬいて火の形を作り色を塗ったような、作り物の火なのである。舞台は騒然。
お客さん達もそれが演出ではなく事故だという事に気が付き大混乱となった。そうでなくともあまりにも不可思議な現象が多発していた為にスタッフですらパニック状態である。
結局この日を境に舞台は、事情をお客さん達に説明して、公演その物を中止せざるを得ない状況にまでなってしまった。

続き
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