花魁淵
塩○市の奥地、花魁淵に来ていた。今は深夜1時過ぎ。まだ少し昼の暑さが残っている。
この場所は、関東の西では有名なスポットだ。戦国時代、武田信玄の軍資金源となった「黒○の金山」が近くにある。
武田氏滅亡の折、この金山の秘密を守るために、五十人以上居た近くの遊郭の花魁を集め、張り出して設置した舞台もろとも、川に丸ごと沈めて皆殺しにしたという場所だ。

最後まで読むと祟られるという、碑看板の近くに止めて、車を降りた。

今回のメンツは、いつもの通り嬉々としてツアーを取り纏めたモリヤマくんを筆頭に、男3人(モリヤマ・おいら・アシスタント仲間のAくん)と女2人(おいらの彼女・Aくんの彼女Bさん)の編成だった。

言葉少なに、花魁の霊を鎮めるお堂までの道を降りる。周りの崖がどんどん高くなる。
中ほどまで来たとき、何かの囁く声が耳元で一瞬聞こえた。不安に思って辺りを見回す。
見ると、みんなも同様だった。みんなにも聞こえていたのか。いや、気づいたのは男3人だけだった。女には聞こえなかったのか?何故だ?

「下見ろ、下!ライト消せ!」
モリヤマくんが、おいらをつついて囁いた。懐中電灯を消して、こそこそとしゃがみこみ、藪の中から崖の下を覗き込む。

まだ深い崖の底に、真っ黒な川が流れて、仄暗い淵を作っている。しかしほぼ真上にある月明かりのおかげで、角度によってはテラテラと光る水面もあった。
ここからの距離は50メートルくらいか。

水面に人影が見えた。岩じゃない。さっき崖の上から見たとき、そこには何も無かった。
その人影は、遠目には解りにくいが、髪は長く解け、襦袢を着ている様だ。女だ。
目が慣れてきた。向こうをむいて俯いているのが判る。顔は濡れ髪にも隠れて良く見えない。
それは、そのままの格好で、音もなく沈んだり浮かんだりしていた。

…生きている人間ではない。
この辺の水深は10メートルはある。深い淵なのだ。
何十人もの花魁を溺れさせ、皆殺しにしたくらいに。

目を凝らすと、次第にそれの体が、こちら側に向いてきているのが判った。
…気付かれたらお終いだ。暗い藪越しに、皆、息を潜めた。
それはしばらくして、浮き沈みを止めた。上半身だけ浮かべたまま静止している。
そして突然、それが顔を上げた。腐ったように黒い眼が、濡れ髪越しにおいら達を見ていた。

「うぅーーうーっ」
女性二人が、ほぼ同時に腹を抱えてうずくまった。おいらとAくんがそれぞれの彼女に駆け寄った。
どうしたのか尋ねると、あの目を見た途端、急にお腹が痛くなってきたのだという。
おいらとAくんは顔を見合わせた。女二人同時にか?今この状況では、非常にマズい。

「…ヤバい」
一人で、崖の下を注視していたモリヤマくんも、緊迫した顔で振り返った。
「気付かれた。今、岸を揚がった。崖を登ってる」
「下のお堂を抜けた…あいつ、こっち来るぞ!」

大慌てで今まで来た道を引き返そうとした。だが女性陣が動けない。可哀相だが、彼女を無理矢理に急かした。AくんもBさんの手を引こうとして、悪戦苦闘してた。
でも、おいら達は30メートルも動けなかった。車まではまだ、だいぶ遠い。

さっきまで居た暗い藪が、ガサガサと揺れた。来る。このままでは追い付かれてしまう。
「ダメー!お腹が痛くて動けないー!」彼女が泣き出してしまった。こっちは焦る。
こんなとこで泣いてられないだろ。仕方ない、背中を貸した。あそこまでおぶって走れるか?

「ここに連れてきちゃいけなかったんだ。女を」
荒い息で、横を走るモリヤマくんが言った。
「あいつは女に祟る。聞いた事があったのに、忘れてた」

強引にいくつも藪を抜け、車までの道をショートカットした。彼女をおぶって後ろ手に組んでいるおいらの手がヌルヌルしているのに気付いた。うわーと思ったが、構うもんか。

駐車場の明るい所まで来て、5人とも力尽き、アスファルトの上に座り込んでしまった。

「…消えた。気配がしない」とモリヤマくん。あたりを伺っている。
「あいつ、消えた?マジ?大丈夫?」
「多分…」
モリヤマくんが言うのなら、大丈夫だろう。ホッとした。

駐車場の街灯の明かりで見ると、おいらの腕に血がベッタリと付いているのに気付いた。
彼女の脚も血に塗れていた。…そんなに傷が酷いのか、幾筋も血が流れている。
恥ずかしがってる場合じゃない。何処を怪我したのか調べるから、脚を見せろと言った。

「いや私、大丈夫だから…絶対だめ!」
「いいから見せろ!」
「ダメだったら…!」
押し問答の末、最初は拒んでいた彼女も、観念しておいらに従った。
だが、様子がおかしかった。
彼女の何処にも怪我は無かった。AくんとBさんのカップルも同様だった。
かなり出血しているのに、痛がるところが無い。どういう訳か判らない。

おいらとAくんは、まさかとは思いながら、こっそりとそれぞれの彼女に聞いた。
「もしかして、アレか?」
彼女達は恥ずかしそうに、無言で頷いた。
ごめんなさい。聞くんじゃなかった。

一方、車のエンジンをかけながら、モリヤマくんはいかにも残念そうに言った。
「ここにも来なかった。もう帰りましょう。あ、席にはビニール敷いてね。汚れるから」
なんだこいつ。もうちょっとデリカシーというか、女性を気遣ってもいいだろう?

こっちの女の子達の方は、急に二人して多めに来ちゃったというのに。

近くの深夜のコンビニで、女の子用品を大量に買って帰途についた。
女性陣は二人とも、目茶苦茶に不機嫌だった。泣いていた。なだめすかすのに苦労した。
それから彼女達は、二度とモリヤマくんの誘いには乗らなくなった。そりゃそうだ。

その後、通常の生活に戻ってから半年間、彼女に生理が来なかった。
これには生きた心地がしなかった。

Good

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