スズキの写真
一時期、大学のサークルの関係で、アシスタントのバイトをしていた時期がある。
高円寺の北にある先生の自宅に伺って、5人くらいの編成で、一人一晩1万円。
おいらの担当は背景とトーンワークだった。内容は、まあ推して知るべし。
そのアシ連の中に一人、結構強力な人がいた。名前をモリヤマくんという。
黒ブチのメガネをかけた、フツーの高青年だ。彼もまだ大学生だった。

そのモリヤマくんは来る度に、にこにこ笑いながら、何かと心霊写真を持ってくる。
これが毎回、なかなかにエグい。
彼がアシに来ると、先生もその輪に入ってしまい、なかなか仕事にならない。
だがこの日、彼が持ってきた写真は、いつにも増してヤバかった。

「この前、K野神社で撮ってきたんですよ。天気も良くて。いやーすごかった」
フィルム2本で48枚のプリントは、冗談でなく、全てがおかしかった。
まず、全部粒子の色が泡立っている(砂地のように見える)。
どの樹木を写しても、木の葉の影に髑髏が無数に見える。
階段を撮っても、そこに落ちる木立の影が、牛の頭の骨に見える。

写真のどこかに霊体が…というレベルではない。全ての写真の全面に写っているのだ。
ここまで来ると、皆黙りこくってしまった。普段はスゲーだのヤベーだの騒いでいる先生も静かになっている。息を呑む作品群だった。
夏の暑い日、窓を開けているのに部屋の温度がどんどん下がってきてるのが判る。

「いいスか、次の写真は絶対に論評しちゃダメっすよ。口にするとヤバイ。マジで」
モリヤマくんは、この日の取って置きをペラリと出した。
「…これ、誰ですか?」
「ああ、彼?一緒に行ったスズキ」

…あまり悪い事は言いたくないが、正直、素人目に見ても、彼は長生きできないのではないかと、本気で心配になる写真だった。
いや、このスズキという人物、本当に人間なのだろうか?それすらも怪しい。
心霊写真を見ただけで、涙ぐんでしまったのは、これが初めてだった。

平らな場所に、そのスズキさんが両手を後ろ手に組んで、こっちを向いて笑ってる。
太陽は彼から見て右手の頭上にある。故に影は彼の左下、つまり写真に向って右下に伸びるはずだ。だが、この影がとんでもなかった。

まず、彼の影が彼の足元に繋がってない。ここから既におかしい。
影の片手が上がっていて、長い杖みたいなものを持っていて…なんですか、これ?
背中に、一際大きな影が…コレは翼でしょうか?
頭には角のようなものも…もうカンベンしてください…。
駄目押しに、尻尾のようなものが腰から…これでは、まるで…悪―

同じ言葉を、よりにもよって先生が呟いてしまった。
「…これは…まるで、ア…」

「それを言うなァア!!!」
モリヤマくんの、鋭い声の一喝が響いた。
びっくりして振り向くと、鬼のような形相で部屋の片隅を見つめている。
顔を真っ赤にして、冷や汗をかいてブルブル震えている。

「その窓を閉めろ!」
言われるがまま、弾かれるようにアシの一人がその窓に駆け寄った瞬間、カーテンを引き裂いて、何か白い塊が飛び込んできた。
それは凄い速さで部屋の中を通り抜け、向こうの開いている窓から飛び出して行った。本当に一瞬だった。
一番間近にいたそのアシさんは、失禁して気絶していた。
おいらたちも、さすがに腰を抜かして、しばらく立てずにいた。

「…もう、大丈夫ッス」モリヤマくんの一言でようやく皆、無言で自分の位置に戻る。
それから誰も話をしようとしなかった。

「…これじゃ仕事にならねえな…」先生が呟いた。まあ、確かに。
「今日は終わり。これで酒買ってきて。でもみんな朝まで居てくれよ。俺が怖いから」

その後は怖がってる先生を囲んで酒盛りになった。モリヤマくんは足の竦んだアシを2人引っ張って酒を買いに行く。気絶したアシには先生のトランクスとジャージを貸してシャワーを浴びさせている。
まだ放心している先生は座らせておいて、おいらは酒盛りの用意をし始めた。
それまで皆が使っていた飲み物のコップを、一回洗っておこうとしてギョッとした。

誰かの麦茶の飲み残しが、ガチンガチンに凍りついていた。

酒を買いに行っていたモリヤマくん達が帰ってきたのは、1時間後だった。
ビールとツマミを、新聞を敷いた床にガラガラとあけて酒盛りが始まったのだが…静かだ。
皆、さっきのことを聞きたくて仕方がない。だが、誰も切り出せない。
モリヤマくんは一人だけ黙々とビールを腹に流し込み、平気で柿の種をバリバリ喰っている。

「なあ…さっきのは…」堪りかねて話しかけたのは先生だった。
この人、実は相当に我慢弱い?

モリヤマくんの手が止まった。
「あの写真を見せるんじゃなかった。ふざけてて油断してました」
「最初に言いましたよね。あれを見て思ったことを口に出すとヤバいと」
「だから、説明することができない」
「口にしただけで、またすぐにあれが来ます。俺には来るのを止められない」
「言っときますけど、あそこはマジですから。ホントにシャレになりません」

二人が心霊写真を撮ってきた「K野神社」は、この辺りではほぼ最凶の有名なスポットだ。
彼いわく…。
「あそこは関東の西の要。ここら辺を東西南北に通る、霊道の交差点みたいなもんです」
「あそこを通る連中には、時折、凄いのが稀に居ます」
「よく判らないけど、<すごく冷たくて速いやつ>とかも居る。そいつが通った場所は、一瞬で空気が無くなる…それで物が裂けたり、凍ったりする。現象的には鎌鼬に結構似ているやつです。さっき来たのが、まあ…そいつですけど」
おい、やけに詳しく説明してないか?また来ちまうだろ、そいつが。

ということは、近くにいて失禁気絶したアシさんは、本当に運が良かったに違いない。
モリヤマくんの言ったものに、まともに当たってたら、冷凍バラ肉だったかも。

「本当にすみませんでした。止められなくて」
殊勝にも、モリヤマくんは改めて、そのアシさんに土下座までして、謝罪してた。

先生も、しまいに天井を見上げながら言った。
「もういいわ。これ以上聞くと、俺が引っ越さなきゃいけなくなりそうだ」
確かに、ここ先生の自宅だしな。これ以上、事が深刻になると仕事に触るだろう。

モリヤマくんは少し黙って、表情を曇らせた。
「まあ、あいつのことなら…少しは話せます。逆に、理解してやって欲しいし…」
スズキさんのことか。

「最初、中学であいつに会った時、俺も本気で心配になりました」
「クラスみんなで最初に自己紹介やった時も、あいつだけ事故紹介ですって言って笑ってやってましたから」
「霊媒体質っていますよね。よく色んなのが憑いちゃって、肩を重そうにしてる人」
「でも普通は自分の魂の嵩分、そうそう入っては来れません」
「あいつの場合は、憑け込まれる場所…というか容量が普通の人より大きいんです」
「…ていうより、スカスカなのでスポンジみたいにどんどん入ってきちゃう」
「この前、あいつのアパートに行ったら、順番待ちが部屋の外まで溢れてました」
「笑っちゃったのが、外に溢れた連中が、列作って待ってるんですよ」

順番待ちの連中ってなんだ?スポンジみたいにスカスカってどういう意味だ?
モリヤマくんは話を続ける。

「俺、あんまり音の方は聞こえないんです。逆に耳が良すぎて雑音が入ってくるんで、感じられないんです。どっちかというと見えちゃう方」
「六つ子くらいの胎児みたいなやつ、何があったかパンパンに膨れた女、ずーっと叫んでるような顔してるおばさん、潰れたゴキブリ、良く分からない白いブヨブヨしたもの、青ざめた顔でドアをノックし続けてるハゲ、5メートルくらいの顔のない人、脳みそが出て首をカクカクさせてる小学生、首も手足もないけどジタバタしてる肉塊、首が50センチくらい延びちゃって上向いてる人、ハラワタの出たネコ、同じ場所を回り続けてる小人、頭から足の生えてるカラス、人の形をした焦げた皮、あ、あと手とか足だけってやつも居ました」
「そいつらが全部、あいつに取り憑く順番を待ってた」
ぶぅげえぇおええ!さっき気絶したアシさんが、今まで飲んでたものを吐いた。

「色んなのが入ってくるので、あいつの何が主体の憑きものか、俺にも判りません」
「すみません。これ以上は詳しく言えません」
いや、もうかなり詳しいだろ。こっちにゲロかかりそうだったし。そこまで言うな。

おいらは、再びあれを呼び込まないように、思わず口に出さないように注意して、自分なりに、頭の中だけで推理してみた。
…あの影は悪魔じゃない。
スズキさんに入ってくる、その色んなものが、影になって写ったのだ。
…キメラだ。

鼻をすすりあげる音が聞こえた。
モリヤマくんだった。いつの間にか彼は涙ぐんでた。
そしてグシャグシャに泣きながら、言った。…いったい、これをどう解釈すればいい?

「…あいつ…、元から半分なんですよ。魂が」

Good

カテゴリ:心霊・妖怪,シリーズもの
[9]戻る
[0]HOME