護衛艦の幽霊
私が、海上自衛隊で最期に乗艦した護衛艦がSだった。
Sは1988年に施行した護衛艦なので、とかく古い艦だった。然るに、所謂「心霊話」が豊富だった。
曰く、艦橋上部に旧海軍士官が立っているのを見た。
曰く、艦橋上部に繋がるタラップ(梯子)の隙間に病死した司令の顔を見た。
曰く、見張り中に肩を叩かれて、振り返ると誰もいなかった、等といった具合である。
「鉄道員」で好評を博した浅田次郎氏が「自衛官は肉体を信奉しており、そういった幽霊等、およそ肉体的とは言い切れない得体の知れないものに対して畏怖をする傾向にある」と述べているのには納得した次第である。
あの話を聞いたのは、確か7月だったと記憶している。その日、護衛艦Sは射撃訓練の為、予め指定された海域に向っていた。
当時、Sは海士が不足しており、三等海曹と言えども見張りに回される事が多かった。私も御他聞に漏れず見張りだった。
見張りは、通常航海直で2時間、艦内哨戒第三配備が令されると3時間、立ちっぱなしで備え付けの望遠鏡を覗き込まなければならない。
日中は訓練等で気が紛れるが、深夜直では2〜3時間の仮眠しか取れないこともざらで、眼鏡の接地部に顔を預けて熟睡する二等海士が後を絶たなかった。
その日、私は2345〜0245の直に着いていた。この時間帯の直は、睡眠時間が余り取れず、嫌われていた直であった。
私は幾度かの危ない瞬間を乗り越え、何とか寝ずに見張りの任務を全うしていた。やがて時間が経ち、交代の人間が艦橋に上がってきた。
私と交代するのはY海曹という古い兵隊だった。
測的目標等の申し継ぎを終え、解散を命ぜられた私は、どうにも目が覚めてしまい、仕方が無くY海曹と煙草を呑みつつ他愛も無いことを喋っていた。
そして、「心霊話」へと話題が移り、その話を聞いてしまった。
20年前、横須賀にNと言う護衛艦が寄港した。
入港後、直ぐに上陸が許可され、銘々が飲み屋へと繰り出したと言う。Aと言う海曹も、仲間と連れ立って夜の街に繰り出した。
帰艦時間が近づき、帰路に着いたAの目の前で交通事故が発生した。
若い女が車に轢かれたのだ。発生直後、Aは女性の死体に何かしたという(それは何かとY海曹も当時の先輩に聞いたそうだが、教えてもらえなかったそうだ)。
兎も角常識では考えられない行動だったそうだ。それを仲間が諌め、艦へ引っ張って帰っていった。
艦に着き、陸上に架けられているタラップを千鳥足で歩くA。
その時、舷門(停泊中の当番の立直場所)の当番は、Aの背後にぴったりと寄り添う女の姿を見たそうだ。
勿論異常なので、当番はAを呼び止め、問いただそうとしたが、既に女の姿は無かった。Aは因縁をつけるな、と当番にビンタを張ったそうだ。
そしてNは横須賀から出港した。その航海中、N艦内では女の幽霊が多発した。
一番最初に遭遇したのはAである。
Aが睡眠中、ベッドのカーテンがひとりでに開いたそうだ。赤灯の薄明かりの中、目を凝らすと女が覗き込んでいた。
ベッドの淵に手を架け、無表情で覗き込んでいたらしい。因みにAのベッドは三段の内の床から30センチも無い高さの一番下であった。
また、機関科であるAの友人が、深夜の見回りで主機室を点検した際、隅の方に女が立っていたそうだ。
無表情で、口を大きく開け、虚空を見つめながら何かを叫んでいたそうだが、エンジンの騒音で叫び声は聞こえなかったようだ。
それから、別の港に入港後、Aは失踪し、異常を感じたある幹部が関係者に事情聴取し、事が発覚。
すぐさまNの名と同じ島の神主を呼んでお払いをしてもらい、それ以降女の幽霊が出ることは無かったそうだ。
「只、今でもその女は成仏してないらしく、自衛官を見ると執着して憑くらしいぜ」
と、一番聞きたくなかったオチをつけられた私は、結局ベッドにつくことがなかなか出来なかった。
奇しくも、そのとき私のベッドは一番下だったのだ。
カテゴリ:心霊・妖怪
[9]戻る
[0]HOME