管理人の見解
■写真の壷の意味
掲載したアステカの祭壇の写真に映っている壷のようなものについては、「かつてアステカで生贄に捧げられた死者の最期の声が霊波動として現代のカメラに映った」というのが霊能者の共通認識であるようです。
確かに、アステカで行われていた「生きたまま胸を裂き心臓を摘出する」という神事は非常に残酷なものです。いくら生贄にとって名誉なことであっても、やはり死の瞬間は想像を絶する痛み、憎しみ、その他様々な感情が瞬間的に生まれたであろうことは容易に想像が出来ます。その生き血を入れた壷に怨念が宿ったとしても、オカルト的に考えればそれほどおかしな事ではありません。

■生贄について
しかし、アステカ王国の生贄思想の根底にある神への信仰。これは古代から現代に至るまで全世界に見られるものです。そして、アステカ同様に神に対する奉仕という意味を込めて世界中で生贄が捧げられてきたのも事実です。
日本では、邪馬台国の女王・卑弥呼が死去した際に100人余りの人柱を埋めたという記述が「魏志倭人伝」に残っています。
中国では殷代に盛んに生贄が捧げられました。一気に45人分の殉葬者の人骨が殷代の墓から出土したこともあります。
ギリシャ・アテネではかつて、2人の浮浪者を1年間公費で養い、祭りの日に市民の罪や穢れを2人になすりつけておいて、最後に街の外の崖の上から突き落とし、市民全体の贖罪とするという習慣がありました。
アステカと同時代にあったインカ帝国においても、飢餓などの際には神への供物として生贄が捧げられていました。

■何故…
生贄の習慣はアステカでのみ行われていたわけではありません。上に挙げたものは一例に過ぎず、またやや意味合いが違いますが、中世から近代において行われていた死刑には火あぶり・磔・八つ裂き・斬首など残酷なものが多く、これらのことからも決してアステカの生贄の手法が特別だったわけではないことが分かります。
にも関わらず、現代において何故アステカの死者の叫びだけが蘇ったとされているのか。地球誕生から今現在までに亡くなった人間は天文学的な数になります。それらから「安らかな死」を迎えられた数を差し引いても、恐らく膨大な数。もしもそれらが現代の世の中に影響を及ぼしているならば、既にこの世は死者が支配する凄まじい世界になっているはずです。しかしそうはなっていない。
つまり、この「アステカの祭壇」にまつわる一連の伝説は、全て都市伝説レベルのものなのではないか。「ヤバい」という噂だけが一人歩きし、その先入観をもって接するからこそ恐怖を覚え、更に広まっていっているのではないか。そう思います。

■最後に
これは霊感のない、いちオカルト好きの戯言です。心霊写真そのものを否定する気は全くありませんし、このアステカの祭壇の写真についても、理屈では説明できない恐怖のようなものを感じています。
テレビ番組に端を発し、ネットの書き込みをきっかけにして少しずつ確実に広まっていっている「アステカの祭壇」という伝説。まだまだ分からないことだらけです。これからも何か新しいことが分かりましたら、随時このページでお伝えしていきます。

■ちなみに
写真を加工したのは2008年9月19日の明け方。皆さんがこれを読んでいるのがいつなのかは分かりませんが、長時間じっくり写真を見て加工した私には、今のところ何も異常は起こっていません。もしも当サイトの更新が止まった時は、私の身に何かが起きた時なのかも…ね。

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