呼んではいけない
昨日、あるお寺で怪談好きの友人や同僚とお坊さんを囲んで百物語をやってきました。

百物語、というと蝋燭を、というのが思いつきますが、ちょっと変わった手法のものもあるようで、その日行ったのは肝試しの意味合いがとても強いタイプのものでした。

まず、大きく太い蝋燭を参加者の中心におき、その灯だけで座敷を照らし、怖い話を語ります。
語り終わった人は、その座敷を出て隣の座敷へ行き、その中央に置かれた文机に向かいます。
その上の鏡で自分の顔を覗きながら筆で『○○○○』と自分の名前を書いて、皆の待つ座敷に戻る。
その一連の行動を一人が十回程度繰り返すわけです。

最初、座談会ということで和やかだった雰囲気も、百物語、となると張りつめた物になって、やはり怖かったです。

なんといっても、山寺の暗い廊下を歩いて真っ暗な部屋で、ほの暗い中、鏡で自分の顔を見るわけです。
普段なら何のことはない行為ですが、あんなに鏡が怖い、というのもなかなか面白い体験なのかもしれません。

閑話休題。

流石に、怖い話が好きな人々だけあって、百物語を語れるほど怖い話のレパートリーというやつがある。
中には、オカルト板でも見かけるものもありましたが、初出のものも多く、背筋がぞくりとしたのも一度や二度ではありませんでした。

たしか、午前二時を周った頃でしょうか。
私の友人が語った「ノックの話」。それは、こんな語りだしで始まりました。

ノック、というやつがあるだろう。
そうそう、トイレやら玄関やらでコンコン、ってやる、あのノックだ。

俺はあんまり幽霊なんてものは信じないたちでね。
なんといっても、姿かたちが見えない、というのは信じならんねぇ。
ただな、この話を思い出すたび、霊的な存在ってのはあるかもしれない、って思うのよ。

幽霊やオバケ、ってのは、あぁ、これは違うんだっけか?
ま、とりあえずそういうものは人との繋がりを探してるんだとよ。
ほら、仏壇でチーンってやるやつも、一種の呼びかけ、ってやつでさ。


ここまで語ると、彼はお坊さんを見ました。
山寺の住職だそうですが、非常に徳の高い方らしく、度々、悪霊払いなどで同じお坊さんも相談に来るほど、とのこと。
語りだすと、それを続けても言いか、お坊さんに確認をとるのがこの百物語の暗黙の了解でした。

何を臆病な、と思うかもしれませんが、こういった状況で話す怖い話というのは、霊障だ、祟りだ、というよりも信じ込みやすい人には危険な話、というのがあるらしく、それを確認をとって進んでいかないと、悪影響のでることも多いそうです。
百物語の怪異、というのは、そういう自己暗示の負の部分、というのが大きい、とは、事前の説明でした。

お坊さんが頷いたので、彼は勢いこんで話を続けます。

「それでな、人との繋がり、っていうのはさ、現世とあの世を繋げる、ほんのちょっとした行為なんだよ。
襖を開けっ放しにすると、幽霊が覗く、っていうのも、そういうスキマが、向こうの世界とのスキマをつくっちまうとかな。

それでな、俺がある人に言われたのは
『人がいないとわかっているところで、絶対にノックをしてはいけない』
っていうことなんだ。

ノックってさ、中に人がいるかいないか、っていうのを確認するだろ。
つまり、返事が返ってくることを待つ、っていう行為なんだと。
ドアを隔てて、向こうとこっちで繋がりを求めてるだろ。
これが、誰かいるかもしれない、っていうさ、そういう確認ならいいんだけど、自分以外家にいない、ってわかってたり、閉店後のデパートとか、いない、ってわかってるのに、ノックをする、っていうのは絶対にやっちゃいけない、っていうんだよ。

例えばな。
自分しかいない家で、トイレのドアをノックする。こういうのは、「中に誰かがいる」というのを、暗に願ってる状態なんだ。
だから、もし、誰もいない、ってわかってるのに、ノックしてしまう、ってのはさ。霊とかあの世のものを呼び出す行為、っていって、忌むべきものなんだって。
ただ、それを言われてね、なんだと、と思ったんだよ、俺は。
ノックぐらいで何をビクビク、なんて思ってね。
あるとき、俺しかいない家で、片っ端からドアをノックしたんだよ。キッチンだ、寝室だ、子供部屋だ、って全部回るんだけど結局何もなくてね。まぁ、よくある迷信だったんだ、と思ったんだよ。
それで、少し思うところがあって、外にでたんだ。
ふざけ半分で、玄関をノックしたんだ。
中には絶対誰もいないし、でれるなら誰かでてみろ、って思ってさ。

コンコン、ってな。結構強めに。

そしたら、遠くから「コン……コン……」って聞こえるんだよ。

ホントに、背筋がぞっとしたよ。
無人の我が家からノックの返事が帰ってきてるんだ。

ドア開けるのが怖かったね。俺は何かを呼び出しちまったんじゃないか、って。
ノックに返事をするために、あの世から何か呼んではいけないものを呼び出しちまったんじゃないか、って、思ったよ。

また、恐る恐る家の中を回ったけど、幸い何もなくてね。
今でこそ、あの返事は空耳だ、とか木のきしみだ、っていえるけど、あの時は、ノックの返事だ、ってたしかに思ってたよ。

だから、ノック、っていうのはそうそう安易にしていいもんじゃない。
もちろん、純粋に人の有無を問うならいい。
ただ、何かを呼び出す行為だ、っていうことを心に留めて置けよ。
それはつまり、居ない所に誰かを呼び出す行為になるんだからな。

それじゃ、終わりだ。
思えば、学校の頃はやったな、トイレの花子さんだっけ?
ノックを何回かして呼び出す、っていうのは、暗にそういうことをしめしてたんだろうか、なんて勘ぐっちまうよ。ま、蛇足だな」

そういって友人は、座敷をでていきました。

午前四時頃、夏ということもあり空が白み始め、九十九話目も無事に語り終わったとき、お坊さんが最後の一話、といってしてくださったお話をここに併記しましょう。

「ある民家には、度々ある異形が現われる。その異形が、家人が誰何を問うたびにこういう。
アギョウサン サギョウゴ 如何に?」

皆さんはわかりましたか?

これで、百物語は終わり、無事に帰宅できました。

Good

カテゴリ:不思議・不気味
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