生き人形(3/4)
そして霊能者の人が不在のまま番組は始まった。生放送である為に本番である。
稲川さんはイスに座り前方を見た。しかし丁度真正面から強いライトが当たっている為に、まぶしくて前がよく見えない。話し始める合図は誰が出してくれるのか分からない稲川さんは横を見た。
すると、背後にある黒い幕が引っ込んでいるのだ。

分かりにくい状況の為補足すると、稲川さんたちがいる側を黒い幕の表として、そして幕を隔てた向こう側を裏とする。裏側にもし人が居たり何か物が置いてあるのであれば、幕が稲川さん達が居る表側の方に向かって出っ張っているはずだ。
しかしそうではなくて、稲川さん達が居る表側の方から裏に向かって幕が引っ込んでいるのである。当然、何も無い。
その引っ込みが、徐々に稲川さんに向かって進んでくるのだという。

(うわ…イヤだなぁ…。)

そう思いゾッとした稲川さんであったが、カメラに向かって話し始めた。

やがて話も一段落して、稲川さんはゲストの席に座る。
3人目の霊能者の人も本番中に間に合って、稲川さんの横に座った。そして挨拶をする2人。

「今回はよろしくお願い致します」
「いえ、こちらこそ。…ところで稲川さん、今何か感じませんか?」
「えぇ、今こんな事があったんですよ…」
と言って稲川さんは黒い幕の所で見た不可解な現象について説明した。すると霊能者の人はこんな事を口にした。

「えぇ…ここに居ます…」

と言って稲川さんの肩の上のあたりを指差した。

「え…?」
「…居るんです…。今稲川さんの上に男の子が1人…」

そしてさらに、番組の段取りには無い事を言い出した。
それによれば、番組を観にスタジオまで来ている奥様達が大勢座っている観客席の上に、照明がたくさんセットされている太くて長い棒がある。その棒がこの時にはちょうど観客席の真上にあったのだが、

「お客さん達が危ないから、皆さんどかして下さい」

と言って来たのだ。稲川さんもさすがに(何を言い出すんだろう。)と思ったという。この事を聞いたスタッフが、

「すいませ〜ん、ちょっと移動して下さ〜い」

と言いながら観客の奥様達を誘導して別の席に移した。
すると次の瞬間、

ガシャーーーーーーーーーーン!!!

という物凄い音を立てて、その太い棒をつないでいる2本のクサリのうち、1本が切れて棒が宙吊りの状態になって、音を立てて揺れている。

ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!

その光景を見た番組司会のタレントの男の人は、口を開けたまま呆然と見つめている。

「な…なんや、これ…どないなっとんや…」

そう言ってブルブルと震え出した。
観客の奥様達も恐怖のあまり泣き出してしまった。
すると別のフロアからスタッフが1人、大声で叫びながら本番収録中のそのスタジオに駆け込んできた。

「い、稲川さーん!!!た、大変でーす!!!電話が鳴りっぱなしです!!!視聴者の人達からで、稲川さんの斜め上と少女人形の斜め上に男の子が1人映ってるというんです!!!」

この言葉を聞いた司会者が、半狂乱で叫んだ。

「モニター回して見せてみー!!!」

スタッフの誰かがモニターを司会者や稲川さん、霊能者の人、番組のアシスタント達に見えるようにクルリと向きを変えた。

視聴者が生放送中の番組をTVで見たら霊が映っていた、などといった生半可な状況ではない。現在出演中の稲川さん達タレントやスタッフたちにも、実際の場所には誰も居ない場所を映し出した映像上に、ハッキリと確認できる程鮮明に男の子が1人映し出されているのだ。

「イヤーーーーーー!!!」

それを見たアシスタントの女の子は泣き叫んでしまった。
現場のカメラマン達もガタガタ震えている。相変わらずスタジオ内では

ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!

と天井からぶら下がっている棒が音を立てて揺れており、

ヒューーーーーーーーーーー!!!

という笛の音のような音も先ほどよりも明らかに大きくなっている。プロデューサーはただおろおろと狼狽するだけである。

「なんや…どないなっとんのや…この番組どうなっとんのや…!!!」
「キャーーーーーッ!!!」
「ヤダーーーーーッ!!!」

ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!

「おい!!!あの音何とかしろって言ってんだろうが!!!」
「こっちだって何がなんだか分かんねーんだよ!!!」

ヒューーーーーーーーーーー!!!

「ウワーーーーッ!!!」
「おい!鎖持って来い鎖!あとハシゴ!」
「ギャーーーーッ!!!」

スタジオ内は騒然としてパニック状態である。番組はあわててCMを流し、事態を収拾しようという事となった。

しばらくしてスタジオ内に居た観客やスタッフ、稲川さん達出演者もだいぶ落ち着いてきて怪現象も収まったのだが、もはや番組としては成り立たなかった。

放送を終えた稲川さんは前野さんに声をかけた。ちょっと寄り道して行こうと思ったのだ。当初の予定では稲川さんと前野さんの2人は、先ほどのお昼の番組の放送を終えた後、大阪に居る稲川さんと親しい友人の3人でお酒でも飲んで、その夜はホテルにでも泊まって翌朝東京に戻り、稲川さんは夕方からの番組に出演するという事となっていた。しかしあまりにも状況がひどかった為稲川さんも落ち込んでいた。早く大阪から離れたいと感じていた。そういった事情を説明して大阪の友人と会う約束を丁重に断り、稲川さんは前野さんを西伊豆の戸田という場所にあるホテルに寄って行こうと誘ったのだ。
というのも、このホテルは稲川さんの所属する事務所の女性の父親がこの場所で経営しており、この日は稲川さんの家族やマネージャーの家族、その他友達や事務所の人間、タレントではロス・インディオスのリーダーといった稲川さんと親しい人達が事務所の女性に誘われて泊まりに行っていたのだ。重苦しい気分を払いのけたかった稲川さんは、こういった人達と楽しく遊んで行こう、と考えたのである。

「それでいいかな?前野さん」
「うん、いいよ」

こうして2人は人形を持ってTV局を出て、新幹線「こだま」に乗って西伊豆の三島駅に向かった。
しかしここで、今だに稲川さんが理解に苦しむ不可解な現象が起きた。
大阪で生放送が行なわれたお昼の番組は、先ほども述べたようにお昼の14:00から1時間放送される。15:00に終了するのだ。それから新幹線に乗るために駅に向かったとしてもせいぜい30分かかるかどうか?といったところである。大阪から伊豆の辺りまでは新幹線で正味4時間ほど。20:00前後には到着する、はずだ。
だが実際に2人が伊豆の三島に到着してみると時間はすでに真夜中の0:00近くになっており、稲川さん達が乗った新幹線がこの日の最終だったのだという。

その三島駅から戸田のホテルまでは、一度バスに乗って小さな港まで行き、そこから船で行く事になっていたのだが、バスも船もすでに運行を終了している。
仕方なくタクシーで行こうとしても、タクシーの運転手達はどの人も

「あそこはもう今の時間だと、陸の孤島となっちゃうから遠くて行けない」

という事で乗せてくれないのだ。仕方が無いので稲川さんはホテルの管理人、つまり事務所の女性の父親に連絡をとり、迎えに来てもらう事にした。

そして車に乗りこみホテルまで向かったのだが、行きの道中に前野さんが稲川さんに心配そうに話しかけてきた。

「稲川ちゃん、大丈夫かな?」
「…なにが?」

聞いてみると、少女人形は紙に包んで袋に入れて、車のトランクに入れているのだが夜道で、しかも舗装も荒れた道路の為に車はガタガタ揺れている。その為人形が壊れないか心配だと言うのだ。

「稲川ちゃん、大丈夫かな?」
「ちょ、ちょっと前野さん、やめなさいよ…」

稲川さんは小さな声で前野さんに注意した。せっかく乗せてくれている管理人のお父さんに失礼だと思ったのである。
そうこうしている内に、今度はフロントガラスの向こうからこちらに向かって白い光が幾つも飛んで来るのが見える。まるでムササビのようなその光は、止むどころか段々と増えてきた。しかし不思議な事に車を運転している管理人さんにはまったく気づいていない。稲川さんと前野さんの2人はその様子を息を呑みながら見つめていた。

「あ…、あぁ…」

光が飛んでいくたびに前野さんは声を出す。

「…やめなさいよ。あれはムササビなんだから…」

前野さんだけでなく自分にも言い聞かせるように、稲川さんはそう言った。

やがて車はホテルに到着した。中には親しい友人達が待っている。
稲川さんもみんなに早く会いたかったし、大勢で盛り上がろうと思っていたために大きな声で挨拶をしながら大広間の扉を開けた。

「お〜い、みんな元気か〜!?」

「…………」

シーン…として声は無い。その場に居る誰もが表情をこわばらせ、無言で座っていた。頭を抱える者。小刻みに震えている者…。
その様子を見た稲川さんは驚いて事情を聞いてみた。

「ど、どうしたの?…みんな?…何があったの!?」

しかし、特に理由は何も無いのだという。理由も無いのに、みんなが示し合わせたかのように口をつぐみ、落ち込んでしまっていたのだ。
予想外の状況に戸惑った稲川さんだったが、そのあとから前野さんが静かに部屋に入ってきた。
挨拶もせずに黙って入ってきた前野さんは稲川さんやその他の人達の前を素通りし、部屋の一番奥まで人形を抱きかかえて持って行き、人形を置いて包みから出そうとする。
稲川さんをはじめその場の人達は何気なくその様子を見ていたのだが、袋から出てきた少女人形の姿を見て、アッ!と息を呑んで驚いた。

それは人間の顔ではなかった。
切れ長だった美しい眼は顔の半分以上はあろうかという位に醜く腫れ上がり、静かな微笑を携えていた口はだらしなく開いて、横に大きく裂けている。髪はボサボサに伸び、乱れている。。
それはまさに「化け物」といった方がいいような、そんな代物であった。
その場に居た全員が、稲川さんと前野さんが出演した舞台を観たり、あるいは楽屋で見かけたりして、以前その人形がどういう姿形であったかという事を知っている為に、あまりにも恐ろしいのだ。
とうとうみんなは怖くてその夜は眠れず、翌朝早々に引き上げたそうだ。

後日。

その話を聞いたそのホテルの管理人の奥さん、つまり事務所の女性の母親が、その人形を供養するという意味で自分が人形の着物を作ってあげましょう、という事を稲川さんに伝えて欲しいと言って来た。
この事務所の女性の実家というのは、代々着物を作り家紋を染め上げるような仕事を生業として来た由緒ある家柄であった。
そして稲川さんは前野さんに頼み、人形をそのホテルにもう一度持って行ってもらい奥さんに渡して、人形の着物を作ってもらう事にした。
この日の夕方。
TV局に仕事に向かう準備をしていた稲川さんの元に前野さんがやって来た。

「やぁ、前野さん。どうしたの?」
「うん、稲川ちゃん。今人形を置いて来たんだけど、茶巾寿司とお茶を置いてきたし、お腹も空かないしのども乾かないよね?」

という事を言って来たのだ。
(あぁ…前野さんもきっと怖かったんだな…。)
稲川さんはふとそう思ったという。

そしてこの年の秋。稲川さんと前野さんはこの人形を使って最後の舞台を公演する予定だったのだが怖いので使わず、別の人形を使って公演を行なった。
やがて舞台は順調に進み、千秋楽を迎えた。
その後事務所にはスタッフや出演者、その他関係者達が集まり打ち上げパーティーが盛大に執り行われた。しかし稲川さんはこのパーティーには参加できなかった。

その翌日の事である。
稲川さんはパーティーに出ていたスタッフの1人から奇妙な話を聞かされた。パーティーの途中から、前野さんの姿が見えなくなり、いくら探しても見つからなかったというのだ。誰に聞いてもその行方は分からない。
前野さんといえば、稲川さんと並んで実際に人形を扱う影の主役のような大切な人物であるから、八方に手を尽くして探してみたがどうしても見つからず、忽然とその姿はどこかに消えた。行方不明となってしまったのだ。

その後も稲川さんやスタッフたちは前野さんの行方を探したがまったくつかめず、月日だけが過ぎて行った。

1ヶ月…2ヶ月…そろそろ3ヶ月が過ぎようか?という頃。
その日の仕事を終えた稲川さんが自宅に帰ると、玄関の扉に大きな目玉のポスターが貼ってある。

「うわ…何だよこれ…」

その気味が悪いポスターが気になりながらも、稲川さんは扉を開けて玄関に入った。

「ただいま〜。気持ち悪いポスターだね、誰が貼ったの?」

すると家の奥から声が聞こえてきた。

「稲川ちゃん…」

前野さんであった。
驚いた稲川さんは前野さんに色々な事を質問して行く。

「ど、どうしたの前野さん!?どこ行ってたの!!!」
「稲川ちゃん大丈夫だよ…。今日家を出て来る時に三角の白い紙を置いて来たからね…。あれが四角になれば全てが丸く収まるよね、稲川ちゃん…」

しかしこの様な訳のわからない事を言って来るだけで、何も答えようとしない。いや、答える事が出来ない。
2ヶ月半の記憶が失われていたのだ。
だから自分がどこに行っていたのか、どうやってそこに行ったのか?まったく分からない。さらに何も身分を証明する物を持っていなかったためにどこの誰からも連絡が無かったのだ。
前野さんは体格も良く、髪も長く伸ばしているおしゃれな紳士だったのだが、服装は浮浪者さながらであり、髪は真っ白に色が落ち、頬はこけてやせ細っていた。

その様子を見て只事ではない状況を察した稲川さんによって急いで病院に担ぎ込まれた前野さんは、周囲の人達の看護の甲斐もあってか徐々に回復し、意識も正常な状態に戻って行った。

「あぁ〜、良かった〜。前野さんが元に戻って…」
「心配かけてご免ね、稲川ちゃん」
「でも、ほんとにどこに行ってたの?」
「う〜ん、それが全然思い出せないんだよね」

前野さんの回復を喜んだ稲川さんは毎日のようにお見舞いに行き、前野さんを励ました。

それからしばらくしたある日の事である。
今ではすっかり回復した前野さんの元に、東欧の方の芸術団体から誘いがあった。もともとこの前野さんという人物は、日本でも屈指の日本人形使いであり、その舞台の高い芸術性は海外でも広く紹介されるほどの才能を持った人であった。その前野さんにヨーロッパで公演を行なって欲しいという誘いがあったのだ。これはもう大変な名誉である。この事を聞いた稲川さんも大喜びで祝福した。

「良かったね〜、前野さん」
「「あぁ、ありがとう稲川ちゃん。ついでにアメリカの方も寄って行きたいね」

毎日こんな事を話しながら前野さんの出発は近づいて行った。



そんなある晩の事である。
自宅でくつろいでいた稲川さんの元に1本の電話があった。
前野さんからであった。

「はい、もしもし?」
「やぁ、稲川ちゃん」
「あぁ、前野さん。どうしたの?」
「いよいよ明日出発なんだよ」
「そうか〜、頑張っておいでよ」
「うん、楽しみだしね」
「それでさ…」

稲川さんは前野さんを激励し、その後2人はとりとめも無い会話を少し交わした。
そして、稲川さんは何気なく人形の事を思い出して前野さんに聞いてみた。

「あ、そういえば前野さん。人形はどうした?」
「あぁ、人形は作ってくれた人の所に今日持って行って、預かってもらう事にしたよ」
「そうなんだ。それなら安心だね」

人形を作ってくれた人というのは、今は京都で仏像を彫っているという例の人物である。そんな事を話しながらも、稲川さんは時間も遅いので電話を切る事にした。

「じゃあね〜、おやすみ〜」

ガチャン。

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